安田理央の日本風俗私史<夜遊昭和レトロ巡り>第1回ノーパン喫茶から始まる性風俗産業と風俗誌

アダルトメディア研究家安田理央が風俗の歴史と自分史を振り返る新シリーズ。少し昭和もあったり平成メインで令和もあったりなかったり⁉ 第一回はノーパン喫茶から始まる風俗史と風俗デビューした当時の風俗界隈の雰囲気をお伝えします。

安田理央の日本風俗私史<夜遊昭和レトロ巡り>第1回ノーパン喫茶から始まる性風俗産業と風俗誌

メディアと風俗が深く繋がるきっかけとなったノーパン喫茶の登場とその後のファッションヘルスの誕生、そして新風営法施行当時の盛り上がりを振り返ります。昭和生まれで当時のエロメディアに触れていた世代には懐かし番組や雑誌の思い出が甦ります!

ノーパン喫茶の過当競争から新たに生まれたサービス

 赤線・青線から始まった戦後日本の風俗ですが、その大きな転換期と言えるのが70年代末期から80年代にかけてのノーパン喫茶ブームでしょう。
 ノーパン喫茶の始まりとしては諸説ありますが、1978年に京都で開店した「ジャーニー」という店が第一号だったと言われています。
 ウエイトレスがミニスカートの下に下着を履かずにパンストだけという姿で接客するこの店のスタイルは「ノーパン喫茶」と呼ばれ(初期にはパンスト喫茶と呼ばれることも)、たちまち人気を集めて全国へ波及していきました。
 コーヒー一杯が千円以上という価格にも関わらず、ノーパン喫茶には客が殺到。最盛期には全国で800軒以上が営業していました。

全国で800軒以上あったノーパン喫茶

 過当競争になってくると、各店舗は差別化のために、独自のサービスを打ち出すようになります。トップレスにする、パンティを販売する、牛丼を出す、などのサービスが生まれました。
 そんな中、気に入ったウエイトレスを指名して、個室で楽しむことが出来るという店も生まれ、それが次第に簡易シャワーを備えた個室風俗店へと変わっていきます。これらの店はファッション・ヘルスと呼ばれました。
 80年代前半に「ノーパン喫茶の女王」と呼ばれて大人気のタレント、AV女優となったイヴが在籍していた歌舞伎町の『USA』も、実際はこうした個室サービスの店でした。
 ノーパン喫茶が風俗の大きな転換期となったと言うのは、この頃から女子大生などの若くて普通の素人女性が風俗業界に飛び込んでくることが増えたからです。明るくて、どこかコミカルなノーパン喫茶のムードは、それまでの暗くて怖い「訳アリ」な世界の風俗とは一線を画しており、女の子にとっても足を踏み入れやすかったのでしょう。
 そして個室であっても本番はナシというライトな感覚の風俗のファッション・ヘルスでも若い女の子が数多く働くようになります。テレビや雑誌などのマスコミで大活躍していたイヴの影響もあったのかもしれませんね。

90年代の風俗誌ブームに繋がる情報誌の元祖

 この頃は、マンションの一室で営業しているマンション・ヘルス=マンヘルなんて業種もありました(本番アリだとマンション・トルコ=マントルと呼ばれます)。
 こうした当時の風俗の明るいムードを象徴しているのが、1983年に創刊された『元気マガジン』(セルフ出版)という風俗誌です。
 スポーツ新聞や実話誌などに掲載されていたそれまでの風俗ルポは、どこかいかがわしく裏社会のムードを漂わせていました。サングラスをかけた風俗記者が書いているような、と言えば伝わるでしょうか。
 しかし『元気マガジン』の誌面はやたらと明るくコミカルなノリでした。なめだるま親方こと島本慶を筆頭に、女性風俗記者の先駆けであるあべしょうこ、この雑誌でデビューを飾ったラッシャーみよしなど、後に風俗ライターの第一人者となる面々が執筆しており、以降のポップなセンスの風俗誌の雛形を作ったと言っても過言ではないでしょう。

当時の風俗界隈の明るい雰囲気を象徴する「元気マガジン」創刊号

 ただ、まだ早すぎたのか、わずか2年で休刊となってしまったのですが……。
『元気マガジン』と入れ替わるように1986年に『シティプレス』(東京三世社)と『ナイタイマガジン』(創刊時は『ナイトマガジン』 ナイタイ)が創刊し、これが90年代の風俗誌ブームにつながっていくのですが、このあたりの話は、また後ほど……。

風俗デビューは名店が多かった高田馬場で

 さて、1985年には新風営法(正式には「風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律」)が施行され、風俗店の営業時間が午前0時までに制限されるなど、風俗業界の様々なルールが変更されました。
 この年、筆者はまだ高校生でしたが、初めての風俗を体験しています。バイト先で知り合った年上の友人と新宿で飲んだ後(高校生でしたが…)、一緒に高田馬場のファッションヘルスに遊びに行ったのです。バイトの給料が出た日だったので、気が大きくなっていたのでしょう。
 その頃、『高田馬場サテンドール』で働く超美形ヘルス嬢・早川愛美(後にAVにデビュー)が、テレビ番組などで有名になっていて、ヘルスといえば高田馬場、というイメージがあって高田馬場まで行ったのかもしれません。実際に当時の高田馬場には『サテンドール』以外にも何軒もファッション・ヘルスがあり、そのうちの1軒に行ったのでした。
 さすがに、もう40年近く前の話なので、記憶はぼんやりしていますが、当時の日記を見ると料金が8500円だったこと、お相手は20代半ばくらいのスレンダー系でなかなかの美人だったこと、そしてシャワールームでいきなりくわえられてびっくりしたことなどが書かれていました。
 そして酒の酔いと緊張で、結局射精できなかったことなども書いてありました(笑)。
 この年、歌舞伎町に初のキャバクラといわれる『キャッツ』がオープンし、都内にキャバクラブームがおこりつつありました。
 また、巣鴨を中心にピンサロが盛り上がりを見せていたようです。
 さらに棺桶ヘルス、ハンモックヘルス、女体トーストプレイといったユニークな風俗プレイが次々と登場し、テレビ番組『トゥナイト』(テレビ朝日)で山本晋也カントクが「ほとんどビョーキ」の名フレーズを連発しながらそれらを紹介していましたね。
 この頃は、数年後に自分が風俗ライターになる、なんて想像もしていませんでした。

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安田理央

取材者 安田理央

1967年生まれ。フリーライター、アダルトメディア研究家。1987年よりアダルト関係の原稿を書き始める。主な著書に「痴女の誕生」「巨乳の誕生」「日本エロ本全史」(以上 太田出版)「AV女優、のち」(角川新書)など。「たちまち はだかの業界物語」(画:前川かずお 日本文芸社)では漫画原作も。

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